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「いんちき」掲示板
 虚構はしょせん虚構に過ぎない。だが虚構を求める人々の心は「真実」だ


 
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猫たちが語る「偏見のメカニズム」 (2004.08.04 Wednesday) [白猫と黒猫の対話集]
 「ええと、今回は偏見のメカニズムについての話ということで」
 「まあ、偏見といえば人を見下すといった差別と繋がって語られることが多いが、それとは違う社会心理学的なメカニズムもある」
 「まず基本的な事を聞きますが、偏見とはどういうことを指しますか?」
 「偏見というのは、ある対象に対して、外見などの一部だけの知識や価値観を基準としてその対象を判断し生み出される思考が偏見だ。ヤムチャは雑魚というのは偏見ではないが、ヤムチャっぽい顔した奴が雑魚だと思うのは偏見になる」
 「なるほど。ではどうして人間は偏見を持つのでしょうか」
 「そりゃ、その方が楽だからだ。全ての人間が俺様のように全知全能であるならば偏見などは起こらないが、人間の能力には限界があるために偏見が発生する余地が生まれてしまう。まず、人間というものは基本的に思考を節約したい。つまり怠けたいと考えている」
 「ふむ」
 「例えば、おまえがキャットフードを食べたいと思ったとしよう。しかし、キャットフードには何十種類もあるために、一体どれを選べばいいのかわからないし、全て買う財力もない。そういう場合、あらかじめ情報を調べておいて選択するという方法もあるが、いちいち調べるのは面倒だ。だから、選択する情報として、

 1:別の好みを持ち出す―マグロが好きだから、マグロのはいったキャットフードを選ぶ
 2:値段で選ぶ―値段が高いなら美味しいだろう
 3:メーカーで選ぶ―いんちき社の別の製品は美味しかったから、これも美味しいだろう

等を持ち出すわけだ。しかし、実際はこれは一種の偏見だ。マグロが美味しいからといって別のマグロのはいったものが美味しいとは限らない。値段が高いからといって美味しいとは限らない。あるメーカーの別の製品も同じように美味しいとは限らない」
 「なるほど。しかしそういったものも偏見だというならばどういう基準で選べばいいんですか?」
 「生物に限界がある以上、完全な基準などない。だから、どんな状況でも新しいものを選ぶ場合は必ず偏見が混じることになる」
 「どうしても偏見は防げないと。しかし、生物に対して偏見を持つのはともかく、ただの食べ物程度ならいいじゃないですか」
 「確かに生物と食事を同列には見れないが、実際問題として人間の能力に限界がある以上、人間に対しても同じように見る傾向があるのは事実だ。例えば、ヤムチャのような顔をした人間を見たら『雑魚っぽいな』と思ってしまうのが人情だろう」
 「ヤムチャにこだわりすぎだと思いますが」
 「極端な物言いをすれば、生物学的には男と女では男の方が力が強いが、ヤムチャと人造人間18号を比べたら分かるとおり、必ずしも男の方が強いとは限らない。だから、これも一種の偏見といえる。しかし、『全体として』見たら男と女を比べたら男の方が力が強いと思って間違いないだろう。だから個人個人に対して『この男とこの女ではどちらの方が力が強いか』ということをいちいち確かめせずに『男の方が強い』と普通は考える。『大体の場合』では間違いがないからだ」
 「まあ、それは確かに」
 「もっと身近で言えば、背の高い奴と背の低い奴をどっちに野球の試合に採用するかだ。細かい技術の違いが分かるならば、それによってメンバーを選べるが、分からなければ背の高い方を選ぶのが『合理的』だろう。大抵の場合背の高い方が運動神経がよい『ことが多い』からだ。しかし、これは実際の能力を考慮していない点で偏見だ」
 「なるほど」
 「あるいは、ライオンを見て『こいつは人間を食べると限らないし、人間を食べるとしても今お腹がすいているとは限らない。なのに偏見を持って逃げたりするのは失礼だ。怯えないでいよう』と考えて近づいて食べられたら、それはただのアホだろ」
 「確かに全てのライオンが『人間に出会えば必ず人間を襲う』わけではないですからね」
 「最近流行の愛国心に絡めるなら、『中国人の多くが日本に反感を持っている』というのは事実だ。しかし、それと目の前にいる中国人が『日本に反感を持っている』とは何の関係もない。しかし、多くの中国人が日本に反感を持っている以上、『目の前の中国人が日本に反感を持っているだろう』と考えるのは『妥当』だろ。このあたりは難しい感情も混じるわけだが、『日本人』『中国人』という枠組みに分けた方が『簡単』だから、そういう風に考えることもある。人間の能力に限界がある以上、個々の人間性を考慮するよりも枠組みを作りそれから判断する思考が出てくるのは当然だ。それが愛国心に繋がっている面もあると思う。『自分という日本人』と『他の日本人』を別々として考えるよりも共通の枠組みにいれたほうが『簡単』だろう」
 「要するに、偏見問題は人間の能力の限界が根底にあると」
 「だから、『偏見を持たないように』教育しても無駄。偏見を持つこと自体は人間がある程度は合理的な証拠でもあるし、もしも偏見を全く持たない人間がいたら、何かを判断するのにも異常に時間がかかるただの無能者になってしまう。危険な可能性のある人間や場所にも『偏見を持たずに近づいて』危険に陥る可能性も高くなる」
 「それは、偏見に苦しめられている人は諦めろということですか?」
 「そういうことでは勿論無い。偏見を持たないように教育するのは無駄だが、『偏見を持続させないように教育する』ことは不可能ではないだろう。要するに、ある人間に対して外見や態度から『こういう人間だろう』と評価したとしよう。しかし、その評価と違うことが判明した場合に、すぐさまその最初の判断を捨てれるかだ。あくまでも偏見が有効なのは初期判断だけで、長期的な判断には使えない思考だが、これが分かってない奴が多い。また、偏見と言ってもいろいろなタイプがある。自分がヤムチャが嫌いだからといってヤムチャが好きな奴は頭がおかしいと判断するのは『妥当性の無い偏見』だ。こういった妥当性のない偏見を減らすことは出来るだろう」
 「要するに、『人間が偏見を持つことは無くせないし無くす必要もないけれど、どういう理由で偏見が起こりどのように活用すればいいのかを教育することは出来る』と」
 「まあ実際問題としては、クズのような人間がにとっては妥当性のない偏見を風船のようにふくらませて自分の優位性を何とか確保するための差別的手段としているのも事実だな。しかし、俺様のような絶対強者は偏見などに頼らずとも、全ての生物がひれふすわけで。偏見にプライドをすがらせている時点で無能をさらけ出しているようなものだ。分かったがザコが」
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From ??????????? @ 2004/09/05 1:01 PM