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「いんちき」掲示板
 虚構はしょせん虚構に過ぎない。だが虚構を求める人々の心は「真実」だ


 
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健康を害する健康保護運動 (2004.09.23 Thursday) [いんちき心理学講義]
 ●どれが「事実」なのかという難しさ
 少し前に、朝日新聞の天声人語がとあるウェブサイトの盗作ではないかという記事が週刊新潮に掲載された事件がありました。
 まあ、その内容が盗作かどうかの判断には関知しないとして、面白かったのはその裁判の結果によるそれぞれの新聞社の報道です。

 普通、裁判といえば厳格なものであり、多少の違いはあれども判決に対して全く異なった記事が載ることは考えにくいと思うのですが、この事件を報道した「共同通信」「朝日新聞」「ZAKZAK」では記事の見出しがこうなっていました。

 朝日新聞 「天声人語が盗用」認めず、新潮社に賠償命令 東京地裁
 ZAKZAK 「『天声人語が盗用』は相当」…東京地裁判決
 共同通信 「天声人語が盗用」に相当な理由 週刊誌記事、賠償責任を否定

 朝日新聞とZAKZAK・共同通信で見出しが180度違うのですが・・・。

 リンク先の記事を見ればわかるとおり、報道対象自体は全く同一です。しかし、各社ごとにどこに注目するかで記事の印象を完全に別物にできるという「事実」というものを考えさせられる教材だと思います。

 ●天然牛乳は健康に悪いので天然じゃない牛乳を飲もう
 教授は、小さな頃は牛乳が好きだったのですが、大きくなってからは牛乳を飲むとお腹を壊すことが多くなったのであまり飲まなくなってしまいました。
 こういう人は日本人にはかなり多くて、昔は飲めたのに、成長すると飲めなくなるのはどうしてなのかと不審に思うと思います。

 牛乳には乳糖がはいっているのですが、この乳糖はラクターゼという酵素がない人が摂取すると、分解されなくなって体に溜まります。この溜まった乳糖が腹痛や下痢などを起こしてしまうのです。そしてこのラクターゼは子どもの頃にはあるけれど、大きくなると作れなくなってしまう人が特にアジア、アフリカ、南欧の人々の90%前後もいます(北欧・西欧系はわずか10%前後)。

 では、栄養成分のよい牛乳を大人になっても飲むにはどうすればいいのかというと、話は簡単でラクターゼを牛乳に混ぜればいいだけです。このラクターゼ入りの牛乳は自然には存在しませんが、日本人の大部分には健康的な飲み物となり、逆に天然の牛乳は下痢を起こすので不健康な代物です。

 ●健康に悪い健康保護運動
 環境保護運動といえば、昨今の凶悪な化学物質の害を押しとどめるために日々運動を頑張っているか、或いは環境環境と叫ぶ姿が胡散臭がられるのどちらかで捉えられる事が多いと思います。
 しかし、どちらに判断するにせよ、化学物質は体にも悪いし環境にも悪いというのは一般的に判断されていることだと思います。

 なかでも、塩素といえば環境運動化には嫌われる物質の代名詞です。第1次世界大戦では毒ガスとして使われましたし、現在では悪名高いダイオキシンと関連しているとして塩ビ製品が過剰に嫌われました。

 また、浄水場で塩素殺菌をするとクロロホルムが出現します。このクロロホルムは発ガン性があるといわれ、アメリカのEPA(米国環境保護庁)では1995年に水道水のクロロホルム濃度を今までよりも遥かに低くするように提案しました。
 もっとも、この発ガン性というのはものすごい量のクロロホルムをマウスに摂取させたらガンが発生し、それを低濃度にして人体にそのまま適応したらそうなるというだけという代物でした。

 塩素に発ガン性のリスクがあるのは事実です。そして、1991年に塩素による発ガンリスクを恐れたペルーでは実際に水道水の塩素殺菌が中止されました。その結果国民が手に入れたのは、塩素不使用による健康ではなく、不衛生な水を使用したことによるコレラの大流行です。この年、ペルーでは数十万人がコレラに感染し、約7000人が死亡しました。
 また、この国だけではなく世界の発展途上国では一年間で2万5000人が不衛生な水による感染症で死亡しています。

 ●健康に悪い環境保護運動
 20世紀中盤に、DDTという強力な殺虫効果を持つ化学物質が大評判となりました。
 この物質は、非常に安価に生成できるにも関わらずほとんどの昆虫に抜群の殺菌効果を持ち、なおかつ人体には無害という代物で、シラミ・ノミ・蚊を撲滅し、チフスやマラリアを駆逐。
 スリランカでは、14年間に渡ってマラリア撲滅運動を行い、DDTを散布したところ、年間250万人も発症していたマラリアの患者数は、なんと31人に激減しました。

 しかし、1962年に環境運動家レイチェル・カーソンが「沈黙の春」という本の中でDDTを悪役と認定してから、DDTの評判は大逆転。野生動物(鳥類)が死ぬ、ガンが発生する、環境に残留し続けるという主張が一気に広まり、DDTに耐性を持つ昆虫が発生したことも相まって、DDTの使用禁止を訴える運動は一気に高まりました。

 さて、本当にDDTはそれほどまでに環境に悪いかと問われると、その後に実験を行なったところ、土壌に残留するというのは、土にDDTを10倍も撒いて暗所に保存するというやり方でやった乱暴なもの。本来の土壌で試したところ土壌生物がDDTを消化するので約2週間で消滅し、海水中の場合は一ヶ月でほとんどが霧散することが判明しました。また、人に対する発ガン性も確認されていません。

 その後、DDT散布が禁止されたスリランカでは、マラリア患者は再び250万人に逆戻りしました。

 ●バカげた二者択一しか存在しないはずがない
 中世錬金術師のパラケルススは「あらゆる物質は毒である。毒であるかそうでないかを分けるのは、その量だけである」と主張しました。

 要するに、この手の問題は「使うか禁止か」というバカげた二者択一を問うのではなく「適切な量はどれぐらいか」という問題です。
 無制限に塩素などを使い続けてしまうと本当に健康を害しますし、DDTは十数年間使われ続けた結果、DDT耐性を持つ昆虫が出現し現在500種が確認されています。明らかに過剰使用の結果です。また、哺乳類には無害でも鳥類には影響があるので、使用には慎重を要します。

 だからといって、塩素の禁止は不衛生な水による感染を増やしてしまい、発ガンリスク以上の人命を奪います。DDTの使用禁止は激減したマラリアで苦しむ人々を再び元に戻しました。化学製品を毛嫌いし全く使わないことは、健康どころか助かるはずの命を奪うことになるのです。


・新聞は偏っているので複数読むことをオススメします。
・天然の牛乳は下痢の元になるので天然ではない牛乳を飲みましょう。
・健康を守るための運動が健康を害することもあります。


参考文献
・天然モノは安全なのか?
・化学物質ウラの裏
・からだと化学物質
乳糖不耐症(web)
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中世悲喜劇動物裁判―破門されたバッタと無罪になったネズミ― (2004.09.07 Tuesday) [いんちき心理学講義]
 ●ある裁判の風景
 1386年、あるヨーロッパの一年で、無残にも子どもが殺されてしまった。現行犯で逮捕された犯人は、教会に引き立てられ、裁判を受けて「絞首刑にすべし」と判決を受け実行された。
 当時の中世ヨーロッパではよくある風景であり、現代人の我々が見ても別段おかしいところはない。

 ただ一つおかしかったのは、裁判にかけられ絞首刑が命ぜられた犯人がブタだったということだ。
 ▼人間と同様に裁かれる動物たち
 13〜17世紀前後の中世ヨーロッパでは、動物裁判というものが流行しました。これは、その名の通り罪を犯した動物を、人間と同じく裁判にかけて処罰するというものです。
 罪状と判決は様々で殺人罪のブタや、破門宣告を受けたバッタ弁護士の力量で無罪になったネズミなどが存在しました。もちろん記録に残っていない動物の処罰も数多く存在するでしょうから、歴史に埋もれた中に、島流しにされたカニとかもいたのかもしれません。

 これらの動物裁判は頻繁にあったわけではありませんが、極少数の例外でもありません。残存資料に残されている動物裁判の履歴は、有罪となったものだけでも9世紀から19世紀にかけて合計142件記録されています。特に動物裁判が活発だったのは15〜17世紀にかけてで、3世紀における裁判の合計件数は122件となっています。大体、2〜3年に一件のペースですね。

 特に裁かれる多かった動物はブタです。中世の農村はブタを放し飼いにしていた上に、現在のブタと違いキバが生えイノシシに近い獰猛なブタでした。そのため、狂犬病にかかったブタが暴れまわり人間を殺傷するのは珍しくなかったのです。

 裁判の流れは、当時の人間に対する裁判とほぼ同等で、犯罪が確認された動物は憲兵隊によって逮捕され、裁判所の監獄に投獄されます。多分、2,3年に一度のケースのために動物専用の監獄を作るのも面倒だし費用もかかるので、人間と同じ牢にいられれた可能性もあります。罪を犯して服役したらブーブー唸ってるブタと同室になる可能性もあるのです。怖いですね。

 現代の刑務所では、罪が重い奴のほうが偉いとかいう不文律のある監獄もあるそうです。ですので、窃盗程度で捕まったらブタの近くにならないように祈るしかありません。隣のブタは殺人罪なのですから、シャバでもダメ人間なのに監獄でもブタ以下ということになってしまいます。救いようがありませんね。

 話がずれました。監獄にいれられたあとは、検察官が被告を起訴し、それが受理されると弁護人が任命され、被告は出頭を命ぜられます。
 その後の裁判の流れも通常と同様に、罪状が読まれ求刑を求められ、無罪か有罪かの判決を受けました。有罪の場合、大抵は絞首刑となります。このあたりの細部は、地方や時代によって変化しました。

 ▼破門される昆虫
 裁判にかけられたのは動物だけではありません。ハエ・ミミズ・アリ・ネズミ・バッタ・モグラなどの害虫・害獣も裁判にかけられました。
 彼らは大量に発生し、農作物に甚大な被害を与えたりします。そこで、彼らの暴挙を止めるために破門制裁や強制退去を命じるために裁判が開かれたのです。

 とはいえ、引き立てることのできる大きな動物と違い、数が多くすばしっこい昆虫を引き立てるのは極めて困難です。そもそも区別がつかないですし、ゴキブリを法廷に大量に詰め込んだら貴婦人は失神しますよ。

 そこで、裁判官の使者を動物の住居に派遣し、裁判所に出頭することを命じることになります。ネズミなら路地裏や下水に。昆虫なら森に行って、「神の意に反するバッタ諸君よ!そなたたちは裁判所で裁判を受けることが決定された。ただちに出頭されたし」とか言うわけです。本当ですよ、念のため。

 こうして告知したにもかかわらず、指定された日時にこなかった場合(来るわけないですが)、欠席したと判断されます。
 何日かの間隔を空けて、裁判所は被告に出頭を求めますが、3回主張しなければ「欠席」が確定し、罪に問われます。しかし、人間ならば罰金刑や禁固刑を命ずることができますが、小動物にそれを実行することは不可能です。そこで、唯一実行可能な刑罰である「破門宣告」が命ぜられます。

 しかし、必ずしも一方的に裁かれるとは限りません。裁判なのですから当然弁護人が存在します。バッタを弁護するために弁護士になったわけじゃないと思うのですが、昆虫裁判でもちゃんと給料は出るので仕事は仕事です。弁護人によって弁護され情状酌量で無罪になったり減刑になる場合もあります。

 16世紀のフランス弁護士バーソロミュー・シャサネはネズミの弁護士として有名になりました。
 オートン地方の大麦を食い荒らしたネズミたちを弁護するために、シャサネは法廷に立ち彼らを守るために熱弁を振るったのです。まず、シャサネは法廷に一匹しかネズミがいなかったためこのように弁護しました。

 「被告ネズミのチュー太郎一匹だけが罪を犯したのではない。多くの村に棲んでいるネズミたち全員に告知をしなければならない」

 この訴えは認められ、全ての村に告知がなされることになりました。しかし、だからといって全てのネズミが出頭するわけはなく、他のネズミは「欠席」とされました。欠席となると裁判官の心象が悪くなるため、シャサネは出頭しないネズミを弁護するためにこう言いました。

 「被告ネズミのチュー太郎と愉快な仲間たちが出頭しなかったのは、ここに至るまでの道に猫がいたため出頭が困難だったからなのです」

 このような感じで、シャサネはネズミたちを無罪にするためにありとあらゆる法的手段を使用しました。やがて、ネタが尽きると今度は人情に訴えます。

 「被告ネズミのチュー太郎と愉快な仲間たち全てが罪を犯したのではない。何人かが罪を犯したからといってまとめて駆除するなど人道に反するのではありませんか」

 この裁判の結果がどのような判決になったかは、いくつかの書物を見ましたがどれにも記述されていません。しかしこのシャサネの熱弁が通じ、ネズミのチュー太郎君の無罪が認められたと信じます。弁護士は被告と共に喜びの涙を流しながら抱き合ったことでしょう。それでペストにかかっても知りませんが。
 (実話です。念のため)

 他の裁判例を見てみましょう。
 1487年、オートンの教会に、畑やブドウ園をナメクジが荒らしているという報告が入りました。そこで、大司教はナメクジに対して農作物を食べるのをやめ、人々を悩みから解放しこの場から立ち去ること。立ち去らなければ破門宣告をし、天罰を与えると宣言しました。

 1516年には、トロイの役人が同様にブドウ園を荒らしている昆虫に、6日以内に立ち去らなければ天罰を与えることを宣言しました。

 ▼なぜ動物裁判が行なわれたのか
 なぜ動物裁判が行われたのかということについて、いくつかの説がありますが、確定した説はありません。
 刑法学の分野においては刑罰の意味についてよく知られた二つの対立する意見が出されている。その一つは客観主義とよばれ、犯罪における犯罪者の自由意志を重視する。犯罪者は悪いと知りながら罪を犯したのだから責任の基礎は犯罪行為そのものにあるとする。ここでの刑罰とは罪のむくい、すなわち応報刑を意味する。
 客観主義に対し、もう一方の立場は主観主義とよばれる。犯罪とは犯罪者のうちにもともとひそんでいる悪性がそとにあらわれ出たものであり、この悪性を矯正することこそ刑罰の目的であるという立場だ。したがってここでは刑罰は教育刑であり、犯罪者が将来罪を重ねることを予防する。
 (中略)
 しかしながら、中世西ヨーロッパの刑罰には、それが過酷であった点で、教育刑的な要素はみじんもなく、また動物も処刑された点で犯罪者の自由意志を重視する客観主義的応報刑の考え方も、そのままの形では認めがたい。そこにある刑罰とは、ひと口でいうなら威嚇刑であった。
 つまり残酷な裁判を犯罪者に加えることにより、人々に畏怖心を起させ、同様犯罪の再発、多発を防ごうとするものである。中世西ヨーロッパの刑罰にはしたがって、本質的には応報刑でもなければ特別予防の教育刑でもない。それは社会における犯罪の一般予防を目的とする、威嚇刑であった。豚の裁判は意外に重大な意味をもっていたのである。

 西欧文明の原像
 このような説を「威嚇説」といい、いくつかの論者が提唱しています。それとは逆に、池上俊一氏は威嚇説に疑問を表明しています。
 動物裁判が威嚇的効果を狙って組まれた法的な『芝居』とは、どうしても思われない。教皇・高位聖職者や王侯貴族、あるいは権力のイデオローグであった法学者は、ほとんどすべて動物裁判にたいして沈黙をまもっているし、そればかりか、すでにみたように、ボーマノワールやトマス=アクィナスは、それに否定的であった。法学者が、動物裁判を論ずるようになるのは、ようやくその末期になってからである。権力者が動物裁判を黙認ないし支持したとしても、それは何か別の目的に奉仕する手段としてではなく、それ自体のうちに意味や目的をみとめていたからだ、という感想をおさえきれない。
 くわえて、動物裁判は、かならずしも権力者が、『上から』課したものばかりではなく、むしろよりしばしば、『下から』のつきあげに応じておこなわれ、上と下の妥協点・合流点で生まれたものではないであろうか。さらにいえば、裁判において判決が下され、執行される刑罰を、威嚇刑・教育刑・応報刑といった近代的な範疇に類別すること自体にも、問題があるように思われる。
 (中略)
 フランスのファレーズで1386年、子どもの顔と片腕を噛み千切ったブタが、同部位の鼻面と前足を切り落とされた例があった。
 おなじようにして、動物裁判は一種の教育刑であったともいえるわけで、これは、犯罪を犯した動物の矯正・更生のための教育ではなく、神の怒りを買わないように、正しい生活を送るよう人々をいざなう教育、という意味での教育であった。

 動物裁判―西欧中世・正義のコスモス―
 当時では、殺人が行なわれるとそれが動物によるものであっても人間によるものであっても無生物であっても、正式に裁かれなければ神の怒りに触れると考えました。そのため、このような動物裁判が発足したと考えられています。

 無生物の場合、殺害に使用された凶器のほか、直接的に関わっていなくとも、間接的なものまで裁かれた例もあります。
 1591年にロシアの皇太子が暗殺された時、町の大鐘が謀反決行の合図として打ち鳴らされました。このため、大鐘は永久追放の判決を受け、独房に閉じ込められました。

 昆虫の破門宣告の理由については、教授が個人的に考えた説があります。
 昆虫に破門宣告をしたり強制退去を命じても、それに意味がないことは現代の我々には分かりきっていますが、当時の人々は大真面目であり、そして破門宣告に意味があるという信念がありました。

 三国志の時代の中国には「蛮国」という国がありました。この国の風習に、「川が荒れれば49名の人の頭を川の神に捧げれば川の氾濫を鎮めることができる」というものがありました。
諸葛亮孔明は、この風習を改めさせるために、小麦粉をこねて人の頭に似せた饅頭(まんとう)を作らせ、これを捧げて川を鎮めました。

 言うまでもありませんが、捧げものと川の氾濫は何の関係もありません。捧げようと捧げまいと、川の氾濫は自然に治まるのです。しかし、蛮人はそうは思わず「饅頭を捧げたから川が治まった」と判断しました。

 動物の破門宣告も同様の流れだったのでしょう。破門しようがしまいが、害虫が農作物を食い尽くすと、やがて食料がなくなり餓死し、被害は治まります。或いは毛虫ならばガやチョウに孵化して遠くに飛んでいきます。
しかし、人々の眼には破門宣告をしたから、被害が治まったように見えたのは簡単に想像できます。

 また、ヨーロッパの人々は災厄は悪魔によるものだと考えていました。農夫は、暗く狭い小屋に動物を閉じ込めましたが、そこには動物が充分に呼吸するための空気がありません。
 例えば牛の場合、夜になって小屋を締め切ると、酸欠になった牛は苛立ち暴れまわり、朝になるとぐったりしてします。それを見た農夫は「これは悪魔の仕業に違いない」と教会から牧師を呼び悪魔祓いの儀式を行ないます。儀式の際、牧師はドアや窓を開けて清浄な空気をたっぷりと中にいれます。儀式をしようがしまいが、新鮮な空気を吸った牛は元気を取り戻します。しかし農夫は儀式によって悪魔が去ったと判断するでしょう。
 このようなことが起こるのは、本来関係ない事象であっても因果関係を見出してしまう考えが、人間の性質として存在するからです。

 ●現代版動物裁判
 現代では動物裁判はなくなりましたが、別の意味での動物裁判が生まれました。それが中世とは逆に、動物が人間を訴える「自然の権利裁判」です。

 アメリカのクリストファー・ストーン博士が山地のリゾート開発を止めるための訴訟に際し,「樹木の当事者適格――自然の法的権利」という論文を書いて支援したことが発端と言われています。
 この自然の権利裁判は、中世とは逆に、人間以外の自然が原告としなった訴訟のことです。主として絶滅危惧種や天然記念物が指定され、日本では沖縄のジュゴンや渡り鳥のオオヒクシイ、奄美のウミガメなどが裁判所に提訴されていますが、日本では「動物に原告の資格はない」として全て却下されています。

 アメリカでは1973年に「種の保存法」を制定されており、テネシー州のダム建設差し止め訴訟で米連邦最高裁は78年に、絶滅の危機にある魚の原告代理となった研究者の訴えを認め、建設差し止め判決を出しています。

 動物裁判を研究した19世紀の学者エドワード・エヴァンズは中世のヨーロッパ裁判をさして「悲喜劇」と評価しています。今現在行なわれている自然の権利裁判も、やがて悲喜劇として語られる日が来るのかもしれません。


・中世ヨーロッパではブタが殺人罪で死刑になりました
・バッタさんは破門宣告を受けました。
・ネズミのチュー太郎君は弁護士の熱弁によって助かりました(多分)。
・動物裁判が行われたのは、キリスト教文化の土壌によるものです。


参考文献
・殺人罪で死刑になった豚
・動物裁判―西欧中世・正義のコスモス―
・西欧文明の原像
・猫はなぜ絞首台に登ったか
・横山光輝三国志25巻
[自然の権利]
動物が原告?自然保護訴訟 市民団体が権利代弁
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日中米、三国バカ裁判 (2004.09.05 Sunday) [いんちき心理学講義]
 ●アメリカバカ裁判:ステラ賞
 前回の講義では、マクドナルドコーヒー裁判のことを書きました。今回はその番外編です。

 アメリカにはステラ賞というおふざけの賞があります。これは、上記のマクドナルドコーヒーの裁判で多額の賠償金を手に入れたステラ・リーベック嬢にちなんで、アメリカで行われた一年で一番バカバカしい裁判に与えられる賞のことです。

 2003年度のステラ賞を受賞したのは、カルフォルニア州の女性警官マーシー・ノルガエ嬢でした。彼女は、逮捕した容疑者に手錠をかけてから、パトカーに乗せ移送を始めたのですが、その途中に容疑者が窓を蹴り始めたので、彼女はスタンガンで容疑者を取り押さえようとしたところ、うっかり間違えて拳銃を抜いて射殺してしまいました。
 警察側は、彼女がスタンガンと間違えて射殺してしまったのは、彼女の過失ではなくスタンガンが拳銃に似ているのが悪いと主張して、スタンガン会社を訴えました。このスタンガンはテイザーという会社の製品だったのですが確かに拳銃に似ています。

 しかし、わざわざ似ているものを選択したのは支給品なら警察側、自前ならば彼女自身のはずです。これが認められるならば、ピストル型ライターで煙草に火をつけようとしたら、うっかり間違えて拳銃を撃ってしまった、似ているのが悪いと主張できるんでしょうか?
 まあ、これは拳銃を持った人間だけに限られるので限定的ですが、ホウ酸ダンゴあたりはやばいですね。部屋の隅においてあったダンゴを、うっかり間違えてパクリと食べて入院という可能性もあります。農薬は粉ジュースに似ているので、うっかり間違えて服毒自殺され訴えられるとか。

 他のステラ賞候補になった裁判は色々ありまして、
 ・55歳の老人シーザー・バーバーは脂肪の多いファーストフードを週に4.5回食べたため、心臓病に苦しめられた。彼がジャンクフードに向いていないことを店側が警告しなかったので裁判を起こした。
 ・オハイオの弁護士シャフターは航空機の乗った際、非常に太った人の隣席を割り当てられたため、脂肪がくっついて不快だったと航空会社を訴えた。
 ・ユタ刑務所収容者ロバート・ポール・ライスは、刑務所が彼に血液を飲ませなかったため、「自分の宗教を守る権利を侵害した」と刑務所側を訴えた。
 ・アメリカの技術者ボブは、ジャック・ロバに名前を変更しました。彼は映画「ロバ」を見て、「『ロバ』は自分の著作権だ。商標だ」と主張し自分のイメージが汚されたと訴えました(銃夢HN問題のアメリカ版ですか?)。
 などが実際にアメリカで訴えられました。

 ●日本のバカ裁判
 こういったバカバカしい裁判がアメリカでは日夜繰り広げられているわけですが、だからといって日本も笑ってはいられません。

 大正4年の朝日新聞にはコンブ裁判の記事が掲載されました。
 千葉県安房郡にある西岬村ではコンブの一種であるカジメを採取していました。ある日、海がしけてしまい、コンブは波に流され富崎村にコンブが漂着。
 このコンブは高値で取引されていたので、当然村民は大喜びで拾い集めたのですが、西岬村の村民は納得せずに引渡しを要求。「元々こちらに生えてたんだから返せ」「いや、勝手にこっちにきたんだからこっちのものだ」と言い争いはじめ、やがて村対立にまで発展。最終的にコンブの正当所有者はどちらなのかと裁判にまで持ち込まれました。

 明治22年には、神奈川県に住む永野元吉という男が、嫁から「チンコが立たないから離縁よ」とインポテンツを理由に離婚訴訟を起こされ、見事に敗訴。
 しかし旦那のほうはそれでは納得しません。「要するに立てばいいんだろ」と一念発起して、見事に病気を治癒させました。
 そして、「チンコが立つようになったから離縁は無効だ」と裁判所に控訴の申し立てが認可。その結果、「本当に立つようになったのか」と双方の弁護人の立会いの下に帝国医科大学にて本当にチンコが立つかどうか検査されました。(明治22年やまと新聞より)

 陪審員制度も槍玉に挙げられやすいものですが、陪審員ではない日本の裁判だっておかしなものがあります。宮崎哲弥氏によると、日本では強姦されたと訴えた老女に対して「20代の健康な男性が老女に欲情するはずがない。よって被告人は心神耗弱者である」と評決を出した裁判があったそうです。

 ●死刑大国中国
 裁判と言えば、お隣の中国は何でもかんでも死刑にすることで有名です。
 中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」によると、武帝時代の法は非常に厳しいもので、罪が軽くて死刑などというとんでもないことが書かれています。
 罪の重い者は一族を滅ぼし、軽い者は本人を殺し、家産は全て没収して官にいれ、ぞう物の弁償に充てたいと思います」

 史記8 列伝4 司馬遷


罪が軽くても死刑ですか

 もっともこの厳しさは、日本の戦国時代や中世ヨーロッパを考えると別段取り立てて凄いわけではないかもしれません。しかし、中国ではこの傾向がいまでも続いています。

 死刑廃止を訴えるアムネスティ・インターナショナルの調査によると2001年に全世界で死刑にされた総人数は3048人で、そのうち中国が占める割合は、堂々一位の2468人です。中国についで死刑が多いと言われている国であるイランでさえ、2位の139人でしたから、中国が死刑大国と呼ばれるのも分かろうものです。ちなみに、アメリカは66人でした。
 米国国務省人権レポートによると1996年度の中国による死刑総数は4367人でしたから、2468人というのも中国にとっては軽めの出来事です。

 では、中国で実際に死刑になった例を列挙してみましょう。
 ・車を盗むと死刑
 ・象を密漁すると死刑
 ・偽札を作ると死刑
 ・会社のお金を横領すると死刑
 ・麻薬を運ぶと死刑
 人民日報網絡版2000年9月13日の記事では、麻薬の運び人となった20歳の女性が摘発され、執行猶予つきの死刑判決を言い渡されました。
 中国の非行少女は日本と違って命がけです。
 ・電線を盗むと死刑
 ・賄賂を受け取ると死刑
(日本でもやってくれませんか?)
 ・裏ポルノを作ると死刑
 ・脱税すると死刑
 ・詐欺を行なうと死刑
 ・ハッキングすると死刑
 ・墓荒らしをすると死刑

 ・交通標識を盗むと死刑(例外:重大な結果が起きると死刑と宣言されましたが(多分)まだ死刑者はいません。
 もう、中国では何をやっても死刑になりそうな勢いです。もちろんこれらの犯罪でも特に凶悪なものでなければ死刑にはなりませんが、電線泥棒のように凶悪じゃないけど見せしめで死刑というのもありうるので油断は禁物です。
 ちなみに、日本の場合は、複数人を凶悪な手口で殺さなければ死刑になれませんが、中国では死刑になりうる条文は65種類もあります。

 ▼中国の処刑方法
 処刑方法ですが、中国では2000年度まで銃殺刑と注射による薬物殺が併用されていました。1995年までは死刑執行の場面に一般人が見物することまで可能となっていました。
 しかし、銃殺刑は残酷すぎるためか2001年度には全面的に薬物殺に移行することを決定し、これを「死刑制度の人道化の表れ」と(自分で)讃えます。
 中国の最高人民法院(最高裁)は、死刑執行方法を従来の銃殺から薬物注射へ全面的に変更することを決め、このほど各地の裁判所に準備を急ぐよう指示した。新華社電は「注射方式への移行は死刑制度の人道化の表れ」としている。
 中国は1997年、刑事訴訟法の規定を「死刑は銃殺、注射などの方法を採る」と改定。数年前から一部都市で薬物注射による執行が行われてきた。これが国際世論に評価され、死刑囚とその家族からも支持されたため、全国で実施することになったという。
 最高法院は「注射なら人的、物的な手間が省け、金銭も節約できる」として、一級行政区の政府所在地と中心的都市では年内に切り替え態勢を整えるよう求めている。

 北京時事2001年9月17日
 最後の一行が正直ですね。 
 真面目に死刑について語ると、中国は死刑の即時執行もあるため、冤罪もかなり存在すると言われています。「死刑は冤罪だった場合の取り返したつかないから反対」というのも、中国の実情を見るとうなづけてしまいます(個人的には死刑反対ではありませんが)。

 ▼CBC(チャイニーズバカコメディ)
 中国だけ陰鬱なことを書くのもあれなので、裁判ではないですが中国のバカバカしい記事を見てみましょう。
 先日、北京病院に、大腸の中に一匹のタウナギが入り込んだという、きわめて奇怪でまれな患者が収容された。
 この中年の男性は、突如腹痛と便秘に襲われたため、北京病院に運び込まれた。レントゲンを撮ったところ、右上腹部に数十センチの長さの、ヘビに似た不思議なものが映り、手術して取り出してみると、なんと出てきたのは、三角形の頭をした脊椎動物。
 専門鑑定の結果、この動物はタウナギと判明した。肛門から逆行して大腸に侵入したと思われる。
 入院期間中この患者に、医師は幾度となく、どうしてタウナギが腸内に入ってしまったのか尋ねたが、患者は「答えたくない」とのことであった。

 北京晩報2000年4月5日
 答えたくないと言っている時点で答えたも同然なのに、幾度となく質問する医師は外道だと思います。
 しかし、穴にウナギは日本のエロ漫画の発想だと思っていたのですが、既に中国ではエロ漫画を飛び越えて実地訓練まで励んでいるのです。凄いですね。問題なのは、やったのが男性だったので全く嬉しくないことです。お尻が大好きな女性は喜ぶかもしれませんが。

 まあ、この男性は腹痛程度で済んでよかったですよ。中国に上には上がいて、ウナギに殺されかけた老人も出てきます。
 尿道にウナギを入れ、前立腺肥大症を治療 老人二人危うく絶命
 先日、南京鼓楼病院泌尿器科に、尿道に自らタウナギを挿入した老人が二人、そのままの姿で相次いで運び込まれた。タウナギを尿道に挿入したのはよかったが、その後抜けなくなり家族の手で病院へ。
 この二人の老人は、前立腺肥大症による排尿困難、頻尿などに悩んでいた。ある日、尿道からタウナギを挿入すると、尿道が開いて、排尿困難が治ると聞いた二人、さっそく全長10センチほどのタウナギを捕まえてくると、自分たちの尿道に挿入してみた。ところが、尿道に入れられたタウナギは、そのまま膀胱へと入っていき、かえって排尿はさらに困難に。腹部に激痛が走って、今回の騒ぎとなった。

 南方都市報1998年11月11日
 ウナギを穴に突っ込むのが中国のトレンディです。「話に聞いた」ということは、この二人の老人以外にも実際にウナギを挿入するチャレンジャーも死屍累々となって存在したことでしょう。中国4千年の歴史は伊達ではありません。ウナギを突っ込むような歴史なんかいりませんけど。

 ●まとめ
 法律や裁判というものは国ごとの特色が極めてよく出るものだと思います。アメリカ映画では、必ず主役級に黒人を一人は入れなければいけないと言われるように、アメリカでは人種平等政策を取っています。このため、日本の5人組戦隊ものは男4人、女性1人とパターンが構築されていますが、この組み合わせはアメリカでは禁物です。
 日本のスーパーヒーローを元にアメリカで制作された「パワーレンジャー」では、男性3人、女性2人とされ、人種の白人・黒人・黄色人とバラエティに富んだ構成になりました。ちなみにピンクが女性なのはアメリカでも変わりませんが、何故かカレーのイエローが女性に抜擢されてます。他には、ポルノ映画で女性が攻める時間と男性が攻める時間がきっちり半々だったり、わけのわからないこだわりが素敵です。

 日本の場合は、法律よりも奇妙なブームが外国から奇異に見られることが多いと思います。10年ほど前は、若い女性がティラミスで舌鼓を打っている横で、おじさん・おばさんは飲尿療法にせいを出していたのですからワケがわかりません。日本に来て、満員電車に乗客を押し込む駅員さんにビックリする外国人は多く存在します。

 どの国もおかしく、どの国も変です。日本から見ればアメリカや中国はおかしく見えますが、アメリカから見れば日本や中国は奇妙で、中国から見れば日本やアメリカはけしからんことになります。この視点で世界を見れることこそ世界平等なんじゃないでしょうか?


・アメリカ人はうっかり間違えると会社のせいにします。
・日本人はコンブで暴動を起こします。
・中国人は何でもかんでも死刑にする一方、穴にウナギをいれたがります。
・どの国も変でどの国もおかしいと思うことこそが真の世界平等です。


参考文献
ステラ賞(英文)
・横山光輝史記11巻
・司馬遷史記8巻
・東大オタク学講座
・驚いちゃいけない珍3面記事
・お笑い超大国中国的真実
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